私が小学校五年生の担任になったとき、クラスの生徒の中に勉強ができなくて、服装もだらしない不潔な生徒がいました。
その生徒の通知表には、いつも悪いことを記入していました。
あるとき、この生徒が一年生だった頃の記録を見る機会がありました。
そこには、
「あかるくて、友達好き、人にも親切。勉強もよくできる」
あきらかに間違っていると思った私は、気になって二年生以降の記録も調べてみました。
二年生の記録には、
「母親が病気になったために世話をしなければならず、ときどき遅刻する」
三年生の記録には、
「母親が死亡、毎日悲しんでいる」
四年生の記録には、
「父親が悲しみのあまり、アルコール依存症になってしまった。
暴力をふるわれているかもしれないので注意が必要」
………私は反省しました。
『今まで悪いことばかり書いてごめんね』と。
そして急に、この生徒を愛おしく感じました。
悩みながら、一生懸命に生きている姿が浮かびました。
なにかできないかと思った私はある日の放課後、この生徒に、
「先生は夕方まで教室で仕事をするから、一緒に勉強しない?」
すると男の子は微笑んで、その日から一緒に勉強することになったんです。
六年生になって男の子は私のクラスではなくなったんですが、卒業式の時に
「先生はぼくのお母さんのような人です。ありがとうございました」
と書かれたカードをくれました。
卒業した後も、数年ごとに手紙をくれるんです。
「先生のおかげで大学の医学部に受かって、奨学金をもらって勉強しています」
「医者になれたので、患者さんの悲しみを癒せるようにがんばります」
そして、先日私のもとに届いた手紙は結婚式の招待状でした。
そこにはこう書き添えられていました。
「母の席に座ってください」
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※月刊誌「
致知」平成17年12月号 掲載