あれから10年近く経つけど、私たちの関係に変わりはない

自分のこと
高校の修学旅行でパスポートが必要になり、戸籍謄本を取った時に愕然とした。

その日は何も手に付かず、夕飯で両親が揃った時、思い切って問いただした。

最初は鳩が豆鉄砲食らったような顔をしてた父が、みるみる目と口を開いていき。

「忘れてた!!」

今度は、私が豆鉄砲を食らいました。

結婚当時、子宝に恵まれず、まだ赤ん坊だった私を施設から引き取った事。

『年頃になったら、説明しなきゃいけないなあ…』

と思いつつ、3人で生活している内に

養子という意識も薄れ、私が中学生になった頃にはすっかり頭から抜け落ちていた事。

「いや、小学校卒業した時に説明するかどうか悩んだ記憶があるから、それまでは覚えてたんだよ」

などと、しどろもどろで言い訳する両親を見てると、ああ、二人は間違いなく私の両親なんだなあと思えて、なんだか泣き笑いになってしまった。

あれから10年近く経つけど、私たちの関係に変わりはない。

今日が両親の結婚記念日だったので、ふと思い出した。

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ちなみに、私は施設の前に置き去りにされてた様で、本当の素性や血縁は一切分からないんだそうです。

名前も誕生日も両親がくれました。

高校生という多感な時期、ともすれば道を誤りかねない事態だったかもしれないのに、こうして真っ当に生きていられるのは、間違いなく両親のお陰と感謝しています。

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結婚当初、近くに私が拾われた施設があり、従来子供が好きなのもあって、母はよく近所付き合いがてらボランティアでよく通っていたそうです。

その日、朝から施設内が忙しなかったので

「どうしたの?」

と尋ねると、生後間もないであろう赤ちゃんが捨てられていたと。

職員にあやされている所に会わせて貰い、抱かせて貰ったら、その赤ちゃんは、ヒシと母にしがみついて離れようとしなかったそうです。

自分を頼ってくれていると思った母はその場で引き取る宣言をし、後日父を伴って正式に養子にする手続きを進めました。

その日が私の誕生日になりました。

私はバスタオルに包まれ、大きなバッグに入れられていたそうで、名前はおろか書置きすらなかったそうです。

「何も分からなくて済まない」

と当時は謝られましたが、もう何も気になりませんでした。

近所や付き合いが頻繁にある親類はごまかせない為に真相を話し、他の多数には、ようやく授かった一人娘という事にしてたそうです。

この事実を知っていたのは母方の祖父母(父方は既に他界)と母の兄の3人だけだったそうです。

本当に周囲に恵まれていました。

こんな内容なので今まで話した事はなかったのですが、ちょっとすっきりした気分です。

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